弊店概要

  • 会社名:有限会社安田工務店 
  • 所在地:大阪市西成区花園北1−1−11  
  • 電 話:06−6649−0462 FAX:06−6631−8727
  • メールアドレス:yasuda-i@mrj.biglobe.ne.jp
  • ホームページ:http://www.yasuda-koumu.jp/
  • 事業内容:新築・増改築・店舗・リフォーム・その他建築一式工事 

       建設業許可 建築工事業 大阪府知事許可(般ー24)119583号

                      日本住宅保障検査機構住宅瑕疵保険届出事業者  大阪市介護保険取扱店

 

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 町屋の工務店の定番。軽トラと軽バンです。

 いつもご苦労さまです。

 時たま、引越しの手伝いに借り出されます。

 

 

souko 074 jt.jpg 作業場兼倉庫です。さまざな道具をはじめ、材料など置いてます。

 材木の加工などの作業をします。 

 いつも片付けようと思っていますが、なかなかできません。  

 

 

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dougu 089 jt.jpg左は代表的な大工道具。 右はさしがね、墨壺 墨さし、ちょうなで「水」 をあらわします。「水」は 水平の意味。 建物は水平・垂直が何より大切という意味。     

なぜ「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務店を目指すのか?

なぜ「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務店を目指すのか、その理由をお聞きください。 

 

大学卒業後ハウスメーカーを経て昭和初期創業の祖父の代からの工務店を継ぐべく三代目修行中。新築・リフォーム・店舗工事などこれまでの施工件数は1,200件を超える。平成2年宅地建物取引主任、平成12年木造建築士、平成17年2級建築士、平成18年福祉住環境コーディネーター2級、平成26年既存木造住宅耐震診断耐震改修講習終了。

 

 

「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務店  

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安田工務店は私で3代目になります。初代の祖父と2代目の父が、ずっと心がけてきたことがあります。

それは「小さな工事でも、気兼ねなく客さんがいってくれる工務店」ということです。

私もその想いを引き継ぎ「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務

店を目指していこうと思っております。ではなぜ、私が「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務店を目指すのか、その理由をお聞きください。


「不動産継いでな〜」 


中学、高校の頃はギター小僧でスタジオミュージシャンにあこがれていました。大学に入って又考えればいいと大学に。特に勉強がしたくて、入ったわけでもなく、なんとなく周りがいっているのでとういう感じでした。大学に入って勉強もそこそこで、遊びほうけていました。こんな調子なので、4年で卒業は無理と思い、もう一年お世話になって、就職活動もその時すればいいと思っておりましたが、意に反してなんとか4年で卒業することができました。

卒業はしたものの、就職活動をしていなかったので、就職するところがなく、家の工務店を手伝うようになりました。現場の世界はおっちゃんばっかり若い女の子どころか同年代の男の子もおらず、これはおもしろくないと思い就職活動をし、ハウスメーカーの営業職に。

同僚や上司にも恵まれそれなりに楽しく働いておりましたが、「営業は契約までが仕事」という会社の方針に、現場第一主義で育った家庭環境なのか、疑問を感じ、再び家の工務店を手伝うようになりました。

戦後の高度経済成長の家が不足していた時代の忙しさはないものの、馴染みのお客さん、協力業者さんのお蔭で、経営はボチボチという感じでした。


又、私が実家を手伝うようになってからは、不動産をしている叔母が私によく仕事を紹介してくれるようになりました。

叔母は私の親父の妹にあたり、商売熱心で、いついってもお客さんが絶えない繁盛店でした。

生涯独身で子供もいなかったせいか、小さなころから、私をはじめ私の兄弟、妹の子供たちを大変可愛がってくれていました。又、仕事だけでなく、私がまだ独身の頃「功君、はよ結婚せなあかんで〜」と、いちいち気に掛けてくれて、何度もお見合いをセッティングしてくれたりしました。

恥ずかしながら、嫁さんと結婚したのも、それがきっかけでした。新居も叔母が世話してくれ、プライベートでも大変お世話になっていました。

前々から叔母に「功君、不動産継いでな〜」とよく言われていたものの、工務店の仕事もしていたし、あまり興味もなかったので、いつも私は「まあ、まあ、そのうちに〜」といつもはぐらかしていました。

 

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「叔母の死」  


 

叔母の店と新居が近くということもあり、

嫁さんと私と叔母でご飯を食べにいくこともしばしばでした。

そんな折、叔母は「物事順調に行き過ぎて、なんか怖いぐらいや〜」と言っていました。

悲しいことに、その言葉が現実になります。


しばらくして叔母は病気に侵せれます。日に日に痩せていくのにつれて、「継いで欲しいという」叔母の言葉が重みをますようになります。一時退院したとき偶然、道で出くわした嫁にも「不動産やってや〜。今度功君にちゃんと言おうと思ってんねん。」と言っていたそうです。


ゴールデンウィークの初日の早朝、電話の鳴る音で起こされ電話のところにいくと、留守番電話が何度も入っていました。親父やもう一人の叔母からでした。再生すると「叔母が亡くなった」と・・・・


嫁さんも起きて来て、事態が理解できたのか、目には涙をいっぱい浮かべていました。 
私は急いで病院に行き、病室に入ると親戚に取り囲まれ白い布を顔にかぶせられた叔母の姿がありました。私は泣きました。あれだけ泣いたのは初めてのことでした。
通夜、お葬式を済ませましたが、私の頭の中は「不動産継いでな〜」という叔母の言葉で一杯でした。

 

「あんたここでなにしてるの・・・」

 

店は借り物件だったので、賃貸契約を解約するかどうか、とりあえず早く決めなければいけません。生前、叔母が「リフォームの店でもいいから」といったことを思い出し、とりあえず店は新たに私の名前で賃貸契約をしました。

「そのうちに」方向性を考えればと思っておりましたが、

「そのうちが訪れません」

その店のシャッターを毎朝、開けに行くだけで今まで通り、工務店の倉庫や現場にいく状態が続きました。この店をなんとかしようと思うものの、行動が伴わず、日にちがたつにつれ、経費は掛かるし、不安が大きくなります。

そんな折に、叔母の不動産のお客さんから「あんた、ここで何してるの!」と言われ、俺何しているのかな〜、と至らなく情けない気持ちになりました。

店を借りてるだけで何もしてないから不動産のお客さんに迷惑かけているし、商売熱心だった叔母にも迷惑かけている…。

 

不動産の仕事をやっていく恐れに立ち向かう勇気がなかったのか?いままでやってきた工務店の仕事を続けていく覚悟がたりなかったのか?いろいろと考えました。


覚悟がたりなかったのです。


叔母の店は私のおるところではない。今までの工務店のお客さんもいてるし、仕事も叔母の分は減ったけど、もう叔母に頼ることはできない。その分を自分の力でなんとかしていこう、工務店の仕事を続けていく覚悟を決めました。

  

「お客さんに喜んでもらうには」 

 

私は店を返しました。そして、工務店の倉庫の空き地に小さな事務所を自分で建て、お客さん増やしていこうとリフォームのチラシを作り営業活動をはじめました。


初めはチラシを見た方から電話がかかってくるだけで喜んでおりましたが、今までの、気心の知れた既存のお客さんと勝手が違います。工事をする悩みを自然に話してくれる関係が新規のお客さんにはないので、適切なアドヴァイスができず受注になりません。そのために無駄に協力業者さんを動かしたりしました。初めて会う人でも、少しはお互いわかりあえる方法はないものか、と考えていました。 


そんな時、繁盛していた叔母の店のことを思いだしました。

いつもカウンターにお客さんが座って、お茶を飲んでいました。不動産の仕事の話はそこそこに、いつもお客さんの家族の話や、世間話で盛り上がっていました。


叔母はそうやって、お客さんの言いにくいことや、悩みを聞いて仕事をしていんだな〜、お客さんに喜んでもらっていたんだな〜と。

そういえば親父も「小さい工事を言ってくれるようになったら、本当のお得意さんだ」と。

若い頃はもうひとつ意味がわからなったのですが、それは、言いにくいことをいってくれるのは、お互いの人間関係が出来ているということで、有難いことだという意味。

それにはやっぱり人と人の関係が大切なんだ。お客さんに喜んでもらえる、いい仕事をして自分もうれしくなるにはやっぱりそれが大切なんだ。

いいにくい事や悩みを言ってもらえる人になれるようになっていこうと思いました。

 

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そのためには「お客さんが心を開く前に、まず、自分はこんな人間なんです」と自分のことをわかってもらえるような、自分の新聞を発行しました。

すると、

お客さんが仕事以外のことでも気軽に話ししてくれるようになりました。

現場に行ったときお客さんから「私の孫もバッファローズのファンクラブに入っているねん、バッファローズ弱いな」と話しかけられたり、私の子供が男の子と女の子なのを知って「うまいこと産み分けたな〜」とか、工事の帰りに「子供たちに」といってお土産をもらったりするようになりました。

 

不動産屋も工務店も商売の形態はちがうけど、お客さんと触れ合い、喜んでもらうということは一緒なんだ。この仕事、工務店でやっていけるし、自分はこっちなんだと確信できるようになりました。

叔母のようにお客さんと、気軽に話し合える関係が築けるようになって嬉しくなりました。

 

「受け継ぐことのありがたさ」 

 

私が工務店を手伝い始めた頃、親父から私の将来を案じてか、「時代遅れの工務店なんかいつやめてもいいねんぞ」とよく言われていました。そのときは「そんな事言われても」と思っていましたが、今では、仕事に関わるお客さんや業者さんとの人間関係を育めることが出来るいい仕事だな〜と思っています。

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祖父は若ころ宮大工をしていたそうです。神社仏閣にかまう余裕のない時代背景もあってか祖父は町大工に。商店街の店舗で削り台を置き、かんなで風呂の蓋、まな板、タンス、机、いすなどを削ってあげたり、家の補修をしてあげたりして、お客さんにたいそう喜ばれたそうです。

 

プライドの高い宮大工の仲間からは「なんや!便利大工みたいなことして」と陰口をたたかれることもあったそうですが、それよりお客さんに喜んでもらうのが嬉しかったのだと思います。

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2代目のである私の父親は中学を卒業してすぐに祖父のもとで働きはじめました。

時代は高度成長期私が小さいころは、いつも忙しくしておりました。

車がまだなかった時代、大八車で材木を運んだ苦労話などよく聞かされました。

私が工務店を手伝うようになって、しばらくして、小さな工事だったので、じゃまくさそうにしていると、親父が「小さなことを言ってくれたら本当のお得意さんなんだぞ」とたしなめてくれました。

最初は意味がよくわからなかったのですが、「言いにくい小さな工事を言ってくれるのは、人間関係が出来ているからこそ」という意味がだんだんわかるようになりました。

 

じいちゃんと親父がやってきた「小さな工事でも、気兼ねなく客さんがいってくれる工務店」を引き継いていこうと覚悟が決まりました。

 

そしてお客さんから「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務店にしていこう。私の方向性も決まりました。

私が「あんたがおるから安心や」と喜んでもらえる工務店を目指す理由がここにあります。


そのためにはこれから先も、人に寄りかかったり逃げよう避けようとせず、覚悟を持って正面から向き合っていくことを、ここに宣言いたします。

 

じいちゃんや親父の仕事に対する想いを受け継いでいけるのは、有難いこと、

「ありがとう」の言葉に尽きます。

 

そして、この仕事をやっていく覚悟を決めさせてくれて、商売は違ってもお客さんに頼られる人になるのが大切なんだと気付かせてくれた叔母に、あらためて感謝したい想いで一杯です。

 

        有限会社安田工務店   安田 功

 

協力業者の皆さん

 建築工事は工務店、大工さんだけではできません。さまざまな協力業者(専門業者)さんたちと協力して、はじめてできるものです。又、その後の住まいの見守り手として、協力して携わっていける方々です。お陰様でなかには2代、3代とお付き合いさせていただいている業者さんもいます。皆さんいつもありがとうございます。

 

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 奥田材木店さん        葛I州屋さん          イナモリ電機さん

  (材木・建材)      (流し・風呂・洗面・給湯器)    (電気・照明・空調)

 

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 インテリアてらださん     西岡住設さん          板越襖店さん

 (クロス・カーペット)     (水道)              (襖・表具)

 

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 清水製作所さん        渇i井組さん           水谷金物さん

 (看板・デザイン)       (基礎・解体)           (建築金物・製作金物)

 

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 田中畳店さん          谷口塗装店さん         井下板金さん

 (畳・上敷)            (塗装)              (屋根・樋・板金)

 

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 大木硝子鰍ウん         松浦左官さん          三谷工業所さん

 (サッシ・硝子)          (左官)              (防水)